安部トシ子ご挨拶

きっかけ


1981年に私は青山のウエディングドレスのショップでスタイリストとして仕事を始めたばかりでした。私が担当したお客様から「挙式当日、出身校の教会に移動するとき、もし雨が降ったらどうしよう?涙でメイクが崩れたらどうしよう?アクシデントに対応したり、美しくスタイリングを整えたり、トイレに連れて行ってくれるのは誰?とても不安です」と、心細いので、私に終日付いていてほしいと懇願されました。
当日、ホテルのロビーからハイヤーでお連れするタイミングからアテンドをしました。当時のドレスは大変ビッグで、中のパニエも大きく、ベールも長く、ボリュームは今と比較できないほどでした。美しいけれど、ひとりで移動するのは大変でした。そのホテルのロビーで、やはり外の教会に出向く別の花嫁が、こちらを見ていました。
私のことも助けて・・・と言いたそうに不安な表情で、気になってしまい、もうひとつサポートする手が私にあったら、なんとかしてあげたいと思いました。後日、どんな立場のプロが、外に出かける花嫁をフォローする役割か調べてみましたが、誰も居ません。
困っている花嫁のための黒子のような、花嫁付きのプロのチャーチアテンダーを私が育てなければと決心して、1983年に東京 南青山に「オフィース・マリアージュ」をたった一人で設立しました。 この仕事はきっと、私に向いていると感じました幾つか理由があります。

  • 三姉妹で育った為に、男性の心理より女性の心理のほうが、理解でき、役に立てると思えたこと。
  • キリスト教系の学校で学んだために、教会に対しての約束事や、マナーを教えられていた事、そこが私にとって、心の安らぐ場所であること。
  • 卒業後就職したテレビ局で秘書業務だった為に、人の役に立つ実務を上司から教えられた経験を活かせること。

そして何よりも、自分の結婚式で周囲の方たちから、身に余るほどのサポートを頂き、その日だけはお姫様気分を実感して、結婚式が“人生の宝物”になっていること。 チャーチアテンダーと言う新しい仕事を生み出す大きなきっかけになりました。
先輩もいない、お手本もない中でお客様からの「ありがとう 安部さんが居てくれたから一日笑顔でいられました」この言葉に支えられてがんばれた日々でした。
爆発的に仕事が増えるわけでは有りませんでしたが、目の前のお客様を大切に、丁寧に仕事をしているうちに、広告もしていないのに、お客様が次のお客様をご紹介くださるだけで仕事量が多くなり、それに呼応して、徐々にスタッフも育ちました。
それがオフィース・マリアージュの出発です。 珍しい職種だったことが取材を受けるきっかけとなり沢山のマスコミの皆さんからも、応援をいただきました。

ターニングポイント

求められる仕事も徐々に広がり1989年、クイーンエリザベスⅡ号で、日本で初めて 大手商社が全国的に結婚式を販売することになり、結婚式の総監修の役割を、経験のない私が担当することになりました。まだ国内で、“プロデュース”という言葉など一般的ではない時代でした。
13組の豪華な、リッチな結婚式が約80日の停泊期間に実施されました。最初の結婚式が今から始まるという瞬間に、私の両足が、床に接着されたように硬直して動かなくなりました。私が動けないなど有ってはならないのに、足が一歩も出ません。
困って、不安になり、ひたすら無意識に神様を頼って祈っていました。「今日の結婚式の最後までやらせてください。たとえその後、何があってもいいので、どうかこの結婚式を成功させてください、終了した後なら、私はどうなっても良いので・・・」と。
結果的には、私の異変に気づいて、離れた場所から近づいて一言かけてくださった牧師先生の言葉で、何事も無かったように足が動き、事なきをえました。経験の浅い私が、固辞したにもかかわらず、不安も抱えながら結果的には受けてしまった為に、自分の体が悲鳴を上げたのだと理解し、反省をしました。それと同時に、とっさに神様にすがった時の私の覚悟を、始めてそのタイミングに私自身が知りました。私にとって、この仕事はそれほど大きなもので、大切なものだと改めて強く感じました。
この仕事で生きていこう。責任もって仕事のクオリティーを高めていこう・・・としっかりと私のなかでスイッチが入った出来事でした。

これからも

今年(2019年現在)オフィース・マリアージュは36年目に入りました。相変わらず、創業当時と変わらず、目の前のお客様、目の前の仕事を大切に、丁寧に一組一組担当させて頂いています。